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1949年東京生まれ。2歳の時失明。筑波大学付属盲学校卒業。12歳でクラシックギターを始める。小原佑公氏に師事。 1967年友人の薦めで出場した、第4回石井好子事務所主催シャンソンコンクールで入賞。これをきっかけに『銀巴里』などで歌い始め、シンガー・ソング・ライターとしてスタート。 1969年7月、シングル『別れのサンバ』でデビュー。10月、厚生年金会館大ホールで初リサイタル。ゲストの渡辺貞夫と共演。年末からラジオの深夜放送をきっかけに『別れのサンバ』が大ヒットとなる。 1970年3月、万博オープニングショーに出演。同年、日野皓正とジョイントコンサート。 1972年3月、『黒の舟唄』発売、代表作の一つとなる。9月、ブラジル『リオ国際音楽祭』に参加。『バイレロ』で入選。 1974年3月、加藤登紀子とデュエットしたシングル『灰色の瞳』発売。日本に於けるフォルクローレブームの先駆けとなる。ジョイントコンサートで第一期全国ツアー。 1977年4月、ライヴアルバム『Sunday Samba Session』リリース。ブラジル音楽ファンの間で伝説的なグループとなっているサンデーサンバセッションを結成、日本におけるサンバの新しいムーブメントのきっかけとなる。 1978年4月、文化放送『セイ・ヤング』のパーソナリティーとして、深夜放送のDJを手掛ける。6月、2枚組アルバム『加藤登紀子・長谷川きよしLIVE』リリース。第二期全国ツアー。 1979年6月、スペイン、モロッコ、ギリシャの町を旅しながら、各地でレコーディングしたアルバム『遠く離れたおまえに』リリース。 1983年10月、浅川マキのプロデュースで、新しい試みに満ちたアルバム『ネオン輝く日々』リリース。 1990年3月、2度目のインドネシア・ジャカルタでのコンサート。同年、クルトワイル作品を集めた瀬間千恵のアルバム『瀬間千恵のクルトヴァイル』のプロデュースを手掛ける。9月、フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、吉野弘志(ベース)、ヤヒロ・トモヒロ(パーカッション)のトリオのセッショングループとライヴ活動開始。10月、吉行、長谷川に柄本明を加えて、岸田戯曲賞受賞作家岩松了の書き下ろし『食卓で会いましょう』をスペース・パルコで上演。 1992年5月、『二人のモノローグ』として88年初演以来全国30ケ所以上で公演を重ねてきた、野坂昭如原作『エストリールの夏』の一つの集大成としてパナソニック・グローブ座で東京での再演。 1993年5月、パネ、吉野、ヤヒロとの活動を形にしたアルバム『ACONTECE』リリース。 1999年10月、日本在住のフランス人の歌手、アコーディオン奏者・パトリック・ヌジェとの『巴里の空の下サンバは流れる』とタイトルされたデュオツアーをスタート。 2001年6月、パトリック・ヌジェ、ヤドランカと共に『トリコロール・国境のない音楽会』開催。 2002年7月、おおたか静流(ヴォーカル)、梅津和時(サックス)、長谷川きよしの3人のユニットで『東京 群馬 埼玉 歌謡サミット』という歌謡曲をテーマにした企画スタート。9月、デビュー以来初めての全曲ギター弾き語りのアルバム『ふるいみらい』発売。 東京芸術大学器楽科(フルート専攻)卒業。クラシックで鍛え抜かれた見事なまでの技術を駆使し、現代音楽、ニューエイジ、ヒーリングだけでなく、ジャ ズ、ソウルさらにはサルサまでこなしてしまう日本唯一のフルート奏者。現在までに14枚のアルバムを発表している。 1978年東京生まれ。5才よりピアノを始め、中学入学後ポピュラー音楽に目覚め独学で音楽理論の勉強を始める。その後、佐藤允彦らに師事し、1997年に民謡歌手伊藤多喜雄の南米ツアーに参加し、プロ活動を始める。 フリーのセッションミュージシャンとしてノンジャンルで活躍するマルチパーカッショニスト。伊藤多喜雄・サーカスなどのサポートや渡辺香津美・アントニオ アロンソなど多数のアーティストと共演している。「平松加奈 Con Armada」立ち上げに参加。 カリビアングループ「トゥンバ クレオール」リーダー。 2005年、1stソロアルバム「o Primeiro passo」をリリース。 【オフィシャルホームページ】http://www13.ocn.ne.jp/~kainuma/ |
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